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『光彩の温もり』  加藤一史


               光彩の温もり

 

 冬枯れの茶色い風景を部屋の窓から見るとなく見ている。

つい半年程前、私の就職祝いを兼ねて、桜満開の弘前城に家族三人で旅行したのが嘘のようだ。ゴールデンウィークを桜色の青森で過ごした私達が、東京に戻って丁度一週間経った月曜日、我が家に事件は起きた。

「お父さんが会社から帰って来るなり、書斎に閉じ籠ったまま出てこない」と私が仕事中にも関わらず母は電話をしてきた。滅多なことでは電話など掛けてこない母だけに携帯のディスプレイに「お母さん」という文字が点滅したのを見て慌てて受信ボタンを押した。「どうしよう。どうしたらいいの?直美」と普段私に悩みや弱さなど見せたことのない母の狼狽さに私のほうが狼狽した。

 

「そっとしといてあげよう」私が帰宅するなり、母はそう言った。おそらく散々父に呼び掛けたのだろう。憔悴した声を聞いて、私は母を質問責めにしたい衝動をぐっと堪えるしかなかった。担々と食事をし、就寝までの時間をわざと会話を避けるように重たい空気が支配した。

 父はいつも帰りが遅いので母と二人きりの夕食が我が家の日常だった。普段だって楽しく明るい夕食かと言えばそんなことはない。「しょうゆ取って」だの「さんまが安かった」だのと、まるでホームステイの留学生が覚えたての日本語を試しに使ってみよう、というような、片言が食卓を行き来する程度だった。それでもそんな食卓に何の違和感もなく、安らかな時間はちゃんと成立した。静寂な呼吸は家族の幸せそのものだった。

自分の部屋のベットに横たわり、父のことを考えた。悪い病気に罹ったんじゃないか?会社で大きなミスを犯したんじゃないか?もしかしたらひき逃げでもしてしまったのか?不吉な事ばかりが頭を巡った。こんなに父を心配したことなど、あっただろうか。なにしろひとりで居ることを極端に嫌う父が書斎に籠城するなんて、我が家では身内が亡くなる位特別なことだ。それだけに膨張してゆく妄想は父への想いに比例した。

真夜中、時折走り去る車の音が遠くなって行く様を、気付くと耳が、何かのリズムのように情緒的に捉えていた。時計のチクタクだったり、冷蔵庫の振動音だったり、普段、聞こえてこない音までその夜は私に入り込もうとした。心の襞を一枚一枚ペンチで剝がすように、静かな胸騒ぎの時間が過ぎた。センチメンタルとも違う脆弱さや深い不安が一気に頭の中に雪崩れ込んで、感傷的になる自分を冷静に見ていた。

母は勿論、父のことが心配なのだろう。私にとっては父と、父を見守る母、二人のことが心配なのだ。いやむしろ母のうろたえた表情のほうが私の心を揺らした。不安そうな眼差しの向こうで父を信じて生きてきた母の痛みを感じたからだ。意地悪な夜に押し潰されそうになる。

 とうとう朝になった。恐ろしい夢を観ていたような、耳から入りこんだ夜中の残像たちが私を苦しめていた。私の気持ちを知ってか知らずか、母はいつものリズムで朝食の支度をしていた。台所に立つ母の後姿には幸福という文字が張り付いていた。いつもはそんなこと思ったことはないのに健気な姿を見ていて、何故かそう見えた。何も無かったように振舞うことが母の強さなのだろう。

 食卓に黄色い卵焼きやピンクの焼き鮭が並び、コトコトとお味噌汁が空腹を刺激した。視覚や嗅覚は正常なのに思考は夜に置き去りにされていた。冬眠から目覚めかける動物のように、気配を読み取り「おはよう」と言うタイミングばかりを探した。そのタイミングを逃せば長い夜から抜け出せない。と思った瞬間、母が私に気付き「普段通りにしてなさい」と告げた。まるで母は私の立ち止まった心を見透かしたようだった。その一言に凝縮された思い遣りが、私と父に対して向けられた最善の言葉に違いない。もしかしたらその一言を一晩中考え、私が「おはよう」のタイミングに悩んでいたように、私が起きて来るタイミングを、普段通りを装って待っていたのかもしれない。

 明らかに泣き腫らした真っ赤な眼で父が食卓に現れた。何か秘密を覗いてしまった感覚。私が生まれた時に、父が男泣きしたというエピソードを母から聞いたことがあったが、陽気な父の泣き腫らした表情を目の当たりにして胸が詰まってしまった。息苦しい沈黙。「おはよう」が言えない。普段通りと言えばそうかもしれない。三人三様、やっぱり昨夜から心は立ち止っていた。

 「会社を辞めて来たよ」元気を装って父が口を開いた。私と母は思わず眼を見合せた。唐突で実感のない衝撃。母は一瞬深い驚きの表情を見せた後、「なんだそんなことか、じゃあ暫くゆっくりできるじゃない」と大袈裟に笑った。その後の会話は余り覚えていない。沈黙を避けるように母がひとりで喋りまくり、母が饒舌になればなるほど、父と私は言葉を失っていった。

 

 あれから半年も経つのに父は未だに仕事をしていない。こんなことでいいのだろうか?母も私も働いているので生活に困る事はない。だから安心しているのだろうか?私達が仕事に行っている間、父はいったい何をしているのだろうか?どんな気持ちでいるのだろうか?母は父に何も言わないのだろうか?疑問符ばかりが頭を擡げる。もっとも仕事をしないで生きていられるのだからそれはそれで幸せなのだろう。

 役所勤めを始めて、初めてのクリスマスを迎えようとしていた。私が配属されているコミュニティ課という部署では、市民の苦情や世間話の聞き役をしている。一階フロアーの中程にはコミュニティコーナーというのがあってミニ図書館になっている。新聞、雑誌、文庫本などを自由に読むことができる。そこには年配者や、明らかに無職といった中高年がやってくる。父がリストラに遭うまでは考えもしなかったが、最近そういう中高年を他人事とは思えない。ちゃんと働けばいいのに、と思う。それでもその人たちは一様に気力を失くした表情をしていて、生きてきた形跡を内側に秘めながら何かと闘っているように見えた。孤独や苦悩といったものを抱えながら束の間の安息に訪れるとしたら、仕事としてではなく、人としてその人たちと向き合っていかなければいけないと思う。

 高部先生をコミュニティコーナーで見つけてしまったのは一週間前のことだった。見つけてしまったなどと否定的に思うのは、灰色に変わり果てた風体に、今の父が時折見せる物哀しい表情と同じ表情をしていたからだ。高部先生は私が中学の時の体育教師だ。父と同年配で性格的にも父に似ている。オルゴールを開けた瞬間、溢れ出る柔らかな音色のように、辺りを和ませるのだった。何度も眼が合ったが、学校では目立たない生徒だったあの頃の私を、先生が憶えているはずがなかった。

月曜日から金曜日まで一日も欠かさず先生は現われた。午前中には現れ、閉館まで居るのだった。昼食を摂る様子もなく、燻ぶってゆく顔は死を覚悟した病人のように、何かを観念したように見えた。衰弱してゆく表情を見て、私は先生のことばかり考えるようになっていった。

仕事を終えて役所の通りまで出た時だった。通りの向こう側で高部先生が蹲りながら佇んでいるのが見えた。私は暫く街路樹の陰に隠れて気を揉みながら見ていた。先生は蹲ったまま動かない。人通りはあるのに誰も声をかけない。そんな状況の中でグズグズとしている自分に腹が立った。電車の中で席も譲れない私が、固い壁を突き破ろうとしていた。車の切れ間を伺い走り出した。「大丈夫ですか」先生の背中越しに声をかけた。丸めた背中から脂染みたキツイ匂いが鼻を衝いた。余りにも哀れで遣る瀬無い気持ちがこみ上げる。思わず逃げ出してしまいたくなる。「大丈夫です」やっと絞り出す先生の声は震えていた。私はどうしたらいいか分からず咄嗟に「家まで送りましょうか」と言った。緊迫感など経験したことの無い私は、何か犯罪でもしているような気持ちになった。これは善意なのか、それとも偽善なのか。変わり果てた先生に対するただの興味なのか、自分でもよく分からない。

先生は突然後ろを振り返り私を見た。視線が突き刺さり、頭が真っ白になる。思わず後退りする。「すいません」と反射的に謝って、やっぱりその場から逃げ出すことばかり考える。ただ、このまま放って帰れるわけもなく、咄嗟に財布から一万円札を一枚出して、先生の上着のポケットに押し込んでいた。私は振り返ることもなく自宅へと駆け出した。「待ってくれ」先生の声が黒い空に響く。その声が私には助けてくれ、に聞こえる。そう感じていてその場から逃げることしかできない。自分の意気地の無さに辟易する。通りを行き交う車の騒音に掻き消されて、心までも聞こえないフリをした。

 

食卓の温かな湯気を羨むように、窓の外では冷たい雨が降っていた。一家揃っての夕食がすっかり定着してしまい、父も母も毎晩楽しそうだ。こういうのも怪我の功名というなら我が家は余りにも歪んでいる。

先生は無事でいるのだろうか?あれから10日程経つが一度もコミュニティコーナーに現れない。ヒトの気も知らないで、父と母の笑顔が憎らしく見える。なんだか無性に腹が立つ。我慢できなくて「ちゃんと仕事しなさいよ」と突然食卓を叩いてしまう。銀色のスプーンは金属音を放ち、コップの水は大きく揺れて零れ落ちた。言っておいて決まりが悪くなる。「ごめん」と言い2人の顔を見る。父も母も私を見ている。あの時の先生と同じ眼をしていたので怖くなる。何かを含んだ意味深い眼。哀しそうで縋りつくような眼。たちまち食卓が澱んでゆく。がつがつと咀嚼の音だけが聞こえる。まるで家畜のようだと思う。食べて寝て、食べて寝て、毎日その繰り返し。父も母も私も何事も無かったように、無言で色とりどりのおかずを食べる。人間はズルイ動物だ。どんどん食卓に色彩が消えてゆく。

「今日は雪になるな」その場を繕うように父が腕組みをして言った。その言い方が感慨深さを含んでいたので母も私も思わず窓の方に眼をやる。窓ガラスにはしっとりと涙のような結露が付き、外の寒さを伺わせた。「家が無い奴は大変だなあ。仕事しないとな、直美。ホームレスにでもなったら首括るしかないもんな」父が自分に言い聞かせるように言った。「もう、縁起でもないこと言わないでよ」私は居たたまれなくなって自分の部屋に駆け出した。父の言葉に他意が無いことは分かっていた。私が生意気なことを言って父を傷つけたのも分かる。それでも高部先生を想うと父の言ったことが無神経だとしか思えなかった。遣り切れない気持ちを父のせいにして、父や母にあたる私は家畜以下だ。

先生は今頃どうやって生きているのだろうか。暖かな部屋のベットに横たわり真っ白な天井を眠るまで見つめていた。

 

ひんやりとした部屋の空気で目が覚めた。窓の外に眼をやると全てが雪で覆われていた。純白とはこのことを言うのだろう。降り積もった雪に朝陽が反射して世の中が煌めいて見えた。この世の幸も不幸も皆真っ白にリセットされた朝。いつもの茶色い風景は何処にも無い。

昨夜のことをどうやって謝ろう、父がリストラ宣言した日の朝を思い出した。気まずさで押し潰されそうだ。こんな時、私には普段通りなんて出来やしない。

ブルブルブル、突然机の上の携帯が鳴った。バイブの振動が机に共鳴して却って驚く。ディスプレイを覗くとまだ6時だというのに役所からの電話だった。「もしもし大竹です」わざと不機嫌そうな声で電話に出た。「あぁ大竹君か。吉永ですが」電話は課長からだ。雪の影響で、管内が混乱しているのですぐに来てくれとのことだった。どうせ雪掻き要員だと思いつつ、父と母に顔を合わせず出勤できる口実ができてほくそ笑む。手短に支度を済ませ、出掛けに父と母の寝室に向けて「大雪なんで役所から緊急招集。じゃ行ってくるね」と叫んだ。

 

役所に着くと皆汗だくで雪掻きをしていた。皆の背中から湯気が立っている。幻想的な感じがして幸せな気持ちになる。一方で折角の広大なキャンパスが土色に汚れてゆく。まるで綺麗なお皿を片っ端から割っているような感覚になる。楽しいような、哀しいような。自分をごまかして生きている。

雪掻きが一段落し、自分の部署に就いた時だった。制服を着た警官が独特の難しい顔をしてコミュニティ課にやって来た。「大竹直美さんは、こちらにいらっしゃいますか」「私ですけど」「高部明さんをご存じですか」「はい。中学生の時の先生ですが」「今朝、中央公園で、遺体で発見されました」「えっ・・・」「遺品らしいものは無いのですが、コミュニティ課大竹直美さん宛の手紙と所持金9900円が上着のポケットに入ってまして、事情を伺いに参りました。今のところ事故と自殺の両面で動いております」私はその場に立っているのも儘ならなくて思わずしゃがみ込んでしまった。そんなことがあっていいのだろうか?あの時逃げるようにして立ち去った私のせいだ。もし、あの時ちゃんと先生と向き合う勇気を持っていたら。先生の悲鳴を感じながら、結局、他人事でしかない、さもしい自分を恨んだ。呪い掛けるように「待ってくれ」というあの言葉が頭の中で木霊する。一生、呪われてもいいと思った。どんな天罰だって受けてもいいとさえ思った。後悔なんて言葉は余りにも軽すぎる。

警察の人に、手紙を読んで捜査の手掛りになるようなことがあれば連絡をくれと言われた。怖くて封を切ることができない。それでも、今度こそ先生と向き合わなければいけない。手紙と先生のことで仕事など手につくわけもなく、頭の中が同じところを行ったり来たりした。

それは自分の部屋に戻っても同じだった。机の上に手紙を置き、1時間経っても封を切る決心がつかない。部屋に籠りっきりの私を心配して母が何度か「どうかしたの」と声を掛けてくれた。きっと父の時と同じだ。「大丈夫」と生返事をして又手紙を見る。誰かに縋りつきたい。苦しくて仕方無い。先生と向き合う?いや、自分と向き合わなければ、他人と向き合うことなんて、できるわけない。

 

私は意を決して、手紙を手に取り、乱暴に封を切った。

 

大竹直美様

君に手紙を書くなんて勿論初めてですね。君の成長を先生はとても嬉しく思います。君はきっと変わり果てた先生を憶えてはいないだろうね。もっとも、君が私を憶えていないと思えばこそ毎日役所に行けたのですが。役所で君を見つけてから、君の爽やかな仕事ぶりに毎日元気を貰いました。何でこんなことになったかなんてどうか訊かないで下さい。君にとっては、いい先生のままでいたいので。それが私のちっぽけなプライドです。美しい色の思い出というのは、美しいままで残しておきたいものです。君に手紙を書いたのは、ただ、ありがとうを言いたかったからです。私にお金を恵んでくれた日、君だけが私に声を掛けてくれました。誰一人、乞食同然の私に声など掛ける者はなかった。孤独な毎日。君が駆け寄って声を掛けてくれた時、私は報われました。君のような生徒を持ったことが、どれ程嬉しかったことか。教師を追われてから、今まで生きてきたことの意味をずっと考えていました。答えなど出るはずもなく、自問自答の日々でした。君が私に教えてくれた勇気というものをこうして手紙にしています。君が「家まで送りましょうか」と言ってくれた時、できることなら君に縋りつきたかった。送ってもらう家も無い私は自分を恨んだ。情けなくて返す言葉もありませんでした。それから君が恵んでくれたお金ですが、どうしても使うことはできません。あの日、ひもじくてパンをひとつだけ買いました。使うことができないと言いながら、それが私の弱さです。プライドだなんて笑ってしまいますね。明日、この手紙と共に君に返しにいこうと思います。私に生きる光をくれてありがとう。雪が降ってきました。温もりを大切に生きていきたい。君から学んだことです。   

高部明

 

涙が全てを洗い流すように溢れ出た。先生は自殺なんかしたんじゃない。必死に生きようと、ヒトリもがき苦しんでいた。私の方こそ先生に気付いていながら、何もしてあげられなかった。悔しくて、辛くて、遣り切れない。真っ黒な寒空の下で、来る日も来る日も夜を明かし、自分と闘い、やっと自分に打ち勝つことができたのだ。それなのに、どうして。なんでもっと早く打ち明けてくれなかったのだろう。

「直美」父の声がした。私は嗚咽で声が出ない。躊躇なく父が扉を開けて入ってくる。思わず父の胸に顔を埋める。「ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね・・・」私は絞り出しながら父に謝る。今までのこと、全てを誤る。「誰にだって辛いことはあるんだ。一晩中泣いて忘れるしかないさ」父が小さな子供にするように、私の頭を撫でながら言った。

 

 

 

 

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